京都コンピュータ学院は創立45周年を迎えられました。45年というのは本当にすごい歴史でございます。当時,私は分析系の仕事をしており,その結果のデータ処理を手回しの計算機でやっていたのですが,とても時間が足りない。ようやくその頃,真空管式のコンピュータらしきものが出ましたが,それを何とか利用してデータ処理をし,さらに企業全体の経営の計算にも使いたいと考えていました。私は,元々ハード屋でありましてソフトというのは嫌いなんです。1970年,ミニコン国産機登場の際,メーカーさんを通して,長谷川靖子さんという才女に排気ガス処理のソフトをお願いしました。
メモリが1000ぐらいしか無かったと思いますが,そんなものを使っていっぱい仕事をいうものだから,彼女を半分発狂させるのじゃないかと思ったのですが,無事仕事が進んでわれわれの会社もそれを利用して大きく発展をいたしました。
さて,京都コンピュータ学院の歴史を見ますと,全く私と,整合しているところと,全く反対のところがあります。まず,学院長の靖子さんの専攻は宇宙物理で対象は膨大な宇宙です。もちろん世代は全然違いますが,私は核物理で,ものすごく小さい極微の世界が対象です。私はハード屋ですが,彼女はソフト屋です。個人的側面では,全然違うのですが社会的観点では,学院は全くベンチャービジネスであり,彼女のアントレプレナーシップというのがその歴史に滔々と流れています。その狙うところは,オンリーワン,ナンバーワンである。まさに私が経営の基本としていたところと同じです。私は社員に,何をやってもよいが,やるからには世界一になれ,ただ一つこの企業にしかできないものを作れと言い続けてきたのです。この学院のフィロソフィーというのは,オンリーワン,ナンバーワンの精神を突き通そうということにあり,単なる技術的能力だけでなしに,その裏にある高い知性,鋭い感性,そして倫理観をしっかりと持った,立派な人間を育成する,それを怠れば本当の意味の自分の専門のスキルは生きてこないという教育上の考え方等々は,私がかねてより考えていることとまさに一致しておるわけです。
2003年,文部科学省で専門職大学院が法制化された時,京都コンピュータ学院がナンバーワンになるために,最高学府の専門職大学院を創りたいから,第一号を申請するということで,私は喜んで設立のお手伝いをいたしました。
しかし,当時は専門学校が四年制の大学を踏み越えて大学院を創るというのは生意気だという風潮が強く,特に官立,公立等々の専門分野の先生方からは,相当な抵抗があったわけですが,学院挙げての努力によりまして,ものの見事に日本で第一号の情報系専門職大学院ができました。これは単に京都コンピュータ学院の誇りだけでなく,京都の誇りです。さらに日本にそういうベンチャラスな学院があるんだという存在自体が海外にも示されたことは,私どもにとっても大変嬉しいことでありました。
45年の歴史を見ますと,60年代に日本最初のコンピュータ教育をスタートされ,70年代に大型コンピュータを導入,80年代にパソコンの大量購入,90年代に海外提携,海外支援,そして遂に2000年に入って,専門職大学院が出来ました。まさに絵に描いたような計画と実行で,その間ベンチャー精神が生き続けているということは,大変に立派なことでございます。
これからもぜひ学院そして大学院大学がますます発展されて,有能な卒業生を送られ,それによって京都を活性化し,日本を活性化し,世界人類のためにご活躍されることを心からお願い申しあげまして,この創立のお祝いとさせていただきます。
どうもありがとうございました。